■ Flavor Of L*** 
番外編1 母

 

 
 夜が明けると朝になる。
 朝になれば陽が昇り、全ての生命に均等に暖かな光を降り注ぐ。
 ザックスもその内の1人。部屋に差し込む光は柔らかく暖かい。
 白いシーツとフカフカのベッドに気持ちよさも格別だ。
 良い匂いのする枕に顔をうずめ、ザックスは夢現の微睡みの時間を漂っていた。
 
「…きろ。朝だぞ」
 遠くで何か聞こえる気がするが、体はまだ覚醒しない。
「起きろ…ザックス」
「…………んー…」
 かけられる声にやっと返事をする。
(でも、この声、誰だっけ…母ちゃんはもっと歳とってた…花の好きなあの子はもっと可愛い口調だ…金髪の恋人は男だし…)
 だんだん意識が浮上し、うっすらと瞳を開けたが、時すでに遅し。煮えを切らしたらしい人物は上掛けをムンズと掴むと、ド派手にザックスから剥ぎ取った。
「いいかげんに起きろ!ザックス!」
「うわあああああああぁぁ!」
 一気に上掛けを無くし全身が冷やりとした冷気に包まれ、慌てて上掛けを掴み返して丸くなる。
「何すんだよ!シャルア!」
 それもそのはず、ザックスは下着一枚でベッドに入っていたのだ。何故裸かと言えば、単に着替えが無かったからだ。
「…お前、寝起きが悪かったんだな」
 すっかり身支度を整えた後のシャルアは呆れ顔。
「んな事ねぇよ。クラウドより遅く起きた事ないぞ、俺。…つか、剥ぐなよ」

 ここWROに来てから初めてザックスはポッドを出て夜を明かした。当然寝巻きなど持ってはいない。
「心配するな、お前の裸ごとき何とも思わない。それよりも体の調子はどうだ?」
「…ひど…」
 男の沽券をスッパリと切り捨てられ、ザックスは内心で涙する。
 自分の記憶を遡っても、年上の女性に子供扱いされた事はあっても『何とも思わない』と言われたのは初めてだ。特にソルジャーになってからは、それなりに他人を魅了するだけの身体つきだと自負してきたと言うのに。
「……動ける範囲だケド…ちょっとダルいデス、あと頭痛が酷くなってる」
 頭を抑えて担当医に症状を伝えると、シャルアは「ふむ」とザックスの顔を覗き込み、黒髪をくしゃりと撫でた。
「さっさと着替えて来い。待ってるから」
 優しくそう言うとパーテーションで簡単に仕切られた部屋を出て行った。

 
 パーテーションの先にはリビングがある。ここはWRO内にある、シャルアの自室だ。
 昨夜、ザックスは初めてポッドから出てベッドで眠った。ザックスをポッドから出すに辺り、緊急事態に対応する為にシャルアの部屋にザックスの場所が作られたのだ。
 ザックスとしては、仮にも大人の体をもつ男女がひとつの部屋で2人きりというのはどうかと丁重に辞退したが、シャルアには「赤子の世話は母親の仕事だ」と一笑されてしまった。子供扱いどころではなかったのだ。

 白いシャツとジーンズに着替えパーテーションを開ける。簡易キッチンからは入れたてのコーヒーの香りが漂ってきていた。
「ザックスも飲むか?」
「いらない。俺、コーヒー苦手…。それよりシャルア。俺、パジャマがほしいんだけど」
 眉を八の字にしながらソファに座る。ほとんどを研究室で過ごすシャルアの自室はシンプルで何もない。
「そうだな、用意しておこう。さ、飲め」
 ドンと目の前のテーブルに、コーヒーが半分ほど注がれたマグカップが置かれた。
「うぇー!こんなに?!」
「リハビリだ」
 ザックスはコーヒーが嫌いではない、むしろ好きだ。好みの香りも味も記憶している。だが今の体は、実際に口に何か入れると嫌悪感で全身が粟だってしまうのだ。
 培養液の中でだけで精製されたザックスの、最初の課題がこれだった。

 初めて口にした一口の白湯の食感に吐き気を催し、毒物のように吐き出した。その様子を見たシャルアは、始めるのはここからか、と、盛大なため息をついたほどだった。
 それからというもの、時には宥め、時には叱り、時には強引に口の中にスプーンを運んでは、培養液からではない『食事』という形をザックスの体に教えこんだ。
 シャルアがザックスを赤子扱いするのは、ごく自然の流れだったのだ。

「全部飲まなきゃダメ?」
「私に逆らうな」
「…だよな」
 ため息をつくと、情けない顔でザックスはしぶしぶとマグカップに口をつける。
 口の中に黒い液体をふくませれば、足元からビリビリした電流が全身に走り、思わずじたんだを踏む。
「んーーーーーーーー!」
 固く目を瞑り真上を向き、口の中からなかなか先に進まないコーヒーを喉に強引に押し込むと、やっとの思いで飲み込んだ。液体が食道を通り、胃へと流れていくのが分かる。食物に反応し内臓が動き出す感覚に胸を叩いた。
「うあー、ここ通ってる」
「良かったな、それが今日を生きる為の準備だ」
 涙目で胃を擦るザックスにシャルアが微笑んで言った。
 物を食し、栄養分を取り、不要なものを排泄する。生きていく為に必要で不可欠な事をシャルアは教えてくれる。その当たり前の事がザックスには新鮮で、忘れていた必要なものだった。


「ザックス、腕を出せ」
 ザックスの左隣に座ると、ポケットからアルミケースを取り出し、出された腕から今日の分の採血や体温計測、投薬など、手際よく処置を進めて行く。
 ザックスの腕にはまだ試験体の番号が残っている。何度も消すことを試みたが、このインクは消すことができなかった。残る手段は皮膚の張り替えだけだ。
「この後、3時間ポッドに入れ。その後で皮膚の移植手術をしよう。お前の腕を綺麗にしてやる」
「サンキュ。少しはコピーに見えなくなるかな」
 この数字はコピーである事の証明だ。それがなくなったとしても、事実は変わらないのだが、少なくとも誰が見ても一目瞭然な証はなくなる。
 処置が終わると、自傷気味に笑うザックスの頭をペチリと叩きながら立ち上がり、シャルアは笑った。
「残念ながら、私が知っているザックス・フェアは1人しかいない。コピーでも何でもない、お前がザックスだ」
 ザックスは目を見開くと、泣きそうな笑顔を零す。
「ありがとう、シャルア。…俺、ポッドが無くても生きられそう?」
「私の腕を疑うのか?」
「そうじゃねぇけど…」
 まだどこか不安そうなザックスに、シャルアがフッと表情を柔らげる。
 シャルアはデスクに座るとパネルを開きザックスのデータを打ち込んでいく。
「あんまりグズグズ言うと、ティファに言い付けるぞ?また怒られたいか?」
「ごめんなさい。それ、勘弁」
 思い出したようにザックスはブルリと震えた。



 ティファから鬼のような電話がかかってきたのは、クラウドと離れた後だった。
 その頃シャルアはザックスをポッドから出るためのプロジェクトを進めていたが、ザックスは拒んでいる最中だった。自分はもう必要ないと諦めていたからだ。
 だが、そんなザックスの心理状態など欠片も気にする事無く、ティファはいきなり怒鳴り散らした。
『いったい何をしたの?!あなたのせいでクラウドがメチャクチャよ!どうしてくれるの!!』
「は?!…え?なに、何?!」
『あなたの責任でしょ?!何とかしなさいよ!!』
 この時、クラウドはセブンスヘブンを出て行った直後だった。ティファはマリンとデンゼルとの家族会議の中、どう考えても原因としか考えられない人物に直接交渉を仕掛けてきたのだ。当然怒りもピークだが、必死さもピークだった。
 始めは何がなんだが分からないザックスだったが、ティファと話をしている内にザックスの中の何かを呼び起こしたのは事実で、ザックスはその日から変わっていった。
 自分を取り戻したのだ。


「なぁ…クラウドは、どうしてるか聞いてる?」
 仕事を進めるシャルアにザックスが遠慮がちに声をかける。
「詳しくは分からない…リーブがお前の事を報告しても返事は無いらしい。仕事の話には応じるがお前の名前は出ないそうだ。 ティファからは変わりないという連絡が来てるが、やはりお前に関する話はしていないらしいぞ」
「俺…クラウドに避けられてる?」
「多分、な」
「無理してなきゃいいけど…」
 手元のコーヒーに視線を落とす。黒い水面にはザックスの顔が映っているか、見ているのは最後に見たクラウドの顔。
 絶望にも諦めにも似た辛そうな瞳をしていた。あの時、何故もっと深く話をしなかったのかが悔やまれる。
「心配か?」
「そりゃあね。でも、今の俺がのこのこ出て行ってもクラウドには認めてもらえねぇよ…クラウドに認めてもらえなきゃ、俺は『ザックス』だって言えない。これ以上、半身を失いたくない」
「……」
 クラウドの話になるとザックスは真剣さが増す。
 クラウドとザックスの間にどれほどの深い繋がりがあるのか、シャルアには分からない。だが、この2人は互いが必要なのだろうという事はその表情だけでも分かる。
 ならば話は簡単、自分はは全力でザックスを治し、クラウドの元へ返せばいい。
「なら、負けるな。元のお前を受け入れて、そして、超えてやれ」
「…だな」
 ザックスは顔を上げ、頼もしい笑顔で笑う。
 目標に向かって全力で突き進んで行く芯の通った目をしていた。答えはすでに見つけている。迷いは無い。

「手術は昼過ぎには終わらせるぞ。その後はトレーニングだ。早く飲んでしまえ」
「りょーかい!」
 思わず一気にコーヒーをかきこんで…再び流れた電流のような嫌悪感に、今度は盛大にじたんだを踏んだ。


 ザックスがクラウドを迎えに行くまで、あと少し。







END.






09 ←back ◇ next→ 番外編2





inserted by FC2 system