■ Flavor Of L*** 
04 7年の時

 


 ザックスの記憶は、ニブルヘイムの地下室で様々な実験を行われた日々の中で止まっていた。
 彼の中では今も、友を助けられなかった絶望と混乱、自責の念、そして目の前で壊れてゆくクラウドを助けたいという思いで溢れている。
 だが、ザックスの事を知らないWROはある意味非道だ。ザックスの意思の尊重よりもWROが彼の状態を把握する事が優先される。
 WROの都合でザックスの意識は戻され、WROの判断でまた眠りにつかされる。拘束状態は変わらぬまま眠り続けるザックスには、時間の概念はすでになくなっていた。



 ゆらり、ゆらりと、今も暖かな液体の中にザックスは漂う。
 その液体自体には不快感はない。むしろ安心するような気さえする。母体の中で守られ育まれる胎児のような、そんな安らかな眠りだった。
「…ザックス。起きろ」
 シャルアが操作レバーを動かし、ザックスを眠りから覚まさせる。脳波の表示がゆるやかに変わり、眠りから覚醒した事分かる。だが、ザックスからの返事はなかった。
「起きているんだろう?返事をしろ」
「……クラウドは?」
 ポッド越しのシャルアの声に不機嫌そうに返す。
 ポッドの中に届く声は散漫で、相手の位置は掴めない。相手からはこちらの全てが見えるのに、こちらからは僅かな事しか分からない。
 その圧倒的な分の悪さもザックスには不満だった。
 それはシャルアも理解している事ではあったが、だからといってそれを解いてやるつもりも無い。まだ2人の間には、名前を認識した程度の関係性しかないからだ。
「クラウドは今ここにはいないが、同じ建物内にはいる。それで安心できるか?」
 シャルアの視界には常にザックスの脳波が写ったパネルがある。不安感や猜疑心はあるものの、それほど数値は上がっていない。諦めや冷静とは違う、自分の感情を押し殺すソルジャーの習性によるものだ。
(難儀なものだな…)
 今まで何人ものソルジャーを診てきたが、目の前にいる男はその習性がさらに顕著な気がした。だが、それはそれで今は助かる。今は…の話だが。
「…何の用だ?」
 ザックスはシャルアの質問には答えず、その先を促した。
 ザックスにしてみれば、この圧倒的不利の中、唯一の救いであるクラウドがいなければ、とてもじゃないが安心などできるはずがない。
 だが、自分が安心しようとしまいと、何の関係もないのだ。冷静でいなければ意識は飛ばされる。それは数度のやり取りで充分分かった。
「…そう怒るな。私は科学者だが、お前の治療も兼ねている。医者には信頼を置くものだろう?」
「医者と科学者は違う」
「ソルジャーにとっては必要な被りだ」
「…アンタ、あけすけだな」
「お前にはその方がいいと思った。違うか?」
 ザックスは小さくため息をついた。
 シャルアが言っている事は確かに正しい。科学により人知を超えた肉体は、普通の人間の身体しか知らぬ医者の許容を遥かに超える。
 ソルジャーにとって、科学者は必要悪なのだ。
「いや…それでいい。その方が有り難い」
「了解した」
 シャルアから僅かな笑みが零れ、2人の関係性に突破口が見えた。




 一方その頃、クラウドはリーブの局長室にいた。部屋の壁に設置されたパネルには数枚のザックスの写真とデータが表示され、クラウドの手元には分厚い資料が握られ、その一枚一枚に目を通す。
「…分かった事は、これで全てか?」
「あの地下研究所は全て調べました。かき集めたデータの解析、復元も全て終了しています」
「ルーファウスには?」
 ピクリとリーブの眉が揺れた。WROと神羅が繋がっているのは極一部のものしか知らない秘密だが、その両方に深く関わるこの戦士にはやはり気付かれていたらしい。
「…神羅の研究所の位置情報はルーファウスからだろ? 代わりに何を要求された? …まさか、『ザックスで』とは言わないよな?」
 クラウドにはWROと神羅がどう繋がっていたとしても興味がない。それはリーブの手腕によるものだし、そのやり方に口を出す気はなかった。
 だが、そこにザックスが絡むとなれば話は別だ。リーブもそれに気がついたように、頭を振る。
「それについてお話は出来ませんが…少なくても、彼の身を提供する事はありません。そこは安心して下さい。」
 パネルのザックスに視線を移してそう答えてきた。その言葉に安堵したのか、釣られてクラウドもパネルのザックスに目を移す。

 無機質に彼についてのデータが詳細に連なられたパネル。
 体の各パーツから全体の写真。シャルアが解析したのであろう血液の成分からDNAの配列、細胞における詳細な数字まで分析されている。
 専門的な項目はクラウドに分からない部分も多いが、まるで人体の核まで暴き数列化したようなデータに、背筋が寒くなる。かつてニブルヘイムでの自分も、同様の扱いを受けたのかもしれない。そして、神羅におけるソルジャー達も同様に。
「……」
 ザックスは『科学者』を嫌っていた。おそらく、こうした扱いも全て知っていたのだろう。
 味方であるはずのWROですらこうなのだ、神羅からの扱いは想像を絶する。
 クラウドは拳を握り締め、胸の内に沸き起こる虚しさに耐えた。
 この自分達にとっては耐え難い分析も、科学者であるシャルアにとっては正しく把握する為に必要不可欠なデータであり、その情報を開示するのは、クラウドを人の上に立つ者として扱うリーブの敬意だ。相容れぬ温度差は飲むしかない。

「…彼を、どうしますか?」
 沈黙に沈みかけたクラウドをリーブの問いが呼び返す。
 地下室から解析されたデータが過去の情報。パネルに表示されたデータが現在の情報。では、未来は?
「……」
 クラウドは答えあぐねていた。分からないのだ。どうすればいいのかも、どうしたいのかも、これからの事になると思考が停止して頭が動かない。
 何も言わなくなったクラウドに近づくと、リーブは労うように優しく声をかけた。
「…急には無理、ですか…。正直に言うと、貴方にこれらをお見せするのはどうかと、迷っていたんです。思っていたより冷静でしたので、全てを開示させていただきましたが…無理をさせてしまったようです。申し訳ありません」
「…謝るな。俺はそんなに頼りないか?」
 リーブには苦笑いで返したが、クラウドの胸中は平穏ではない。
 ただ、どこかで予感めいた覚悟はあったかもしれない。あの地下室で、ザックスの顔を見るまでクラウドは気付けなかった。ザックスの気配ならどんな場所でも、いかなる状況でも分かる自信があったのに。
「彼の事は貴方が決めて構いません。必要な手伝いは惜しみませんので、何なりとお申し付け下さい」
「それは、今後の俺の働きと交換で、という意味か?」
「おや? そう聞こえましたか? では、それに便乗する事に致しましょう」
 お互いの軽口に小さな笑みを零す。今は置く立場が違えど共に戦った仲間なのだ。その絆は違えようもない。むしろ、ザックスに関する話よりも、こうした他愛のない他の話の方がクラウドには楽だった。
「…ザックスの所に戻る。もう起こしてあるのか?」
 ザックス今、シャルアの完全管理の元にある。そしてその研究室にはケット・シーが常におり、ザックスの動向は常にリーブが見られる状態にあった。ザックスはWROの中で要注意人物なのだ。
「起きていますよ。それにしても…彼は面白い男ですね」
 プッと、リーブが小さく吹く。
「?、何だ?」
「いえ、あれだけ警戒してシャルアに、もう打ち解けたようです」
 リーブがクスクスと笑う様子が気になり、クラウドは急いで研究室へと向かった。




「ザックス…いいかげんにしろ」
「だって暇なんだもんよ」
 シャルアが苛立ちながら頭を抱えポッドを見上げる。その中では固定された足枷の鎖を利用する形でザックスがスクワットをしていた。
 大きな身体が上下に動く度に鎖からは五月蝿い音が響き、ポッドの中の溶液に細かい泡がが立ちザックスを多い隠す。頭に繋げたコードが激しく絡み、これではシャルアが苛立たぬ訳がない。
「そんな事をしてもコードは切れない!大人しくできないならまた眠ってもらうぞ?!」
「…ちぇ、バレたか」
 悪戯がバレた子供のように舌を出すと、諦めてまた身を溶液に預ける。細かい気泡が炭酸の泡のようにザックスの身体を撫でては頭上へと昇っていった。
「なぁ…俺の身体って、どうなってんの?」
 ザックスがシャルアに尋ねる。
 やっと静かになったことにため息をつき、再び仕事を再開させながらシャルアが答えた。
「現在は至って健康だ」
「そっか…」
 ザックスが何かを言いたげに口を噤む。シャルアはその脳波が表示する波をただ黙って見ていた。



 研究室のドアの電子音が響き、クラウドが急ぎ足で入ってくる。
「クラウド?!クラウドだろ?」
 その足音だけでパッと顔を上げたザックスが嬉しそうな声をあげた。待ちきれないとばかりにソワソワと身体を揺らす様に、シャルアはポカンと口を開け、ある小動物を思い出す。
(犬…?)
そんなシャルアに苦笑いを向けながらクラウドはポッドの前で足を止めた。
「ああ。おはよう、ザックス」
「おはよう。なぁ、どこにいるんだ?ここからじゃ分かんねぇよ」
ポッドの中でキョロキョロと辺りを見回す。視界も無く、溶液全体から聞こえてくる音では、クラウドのいる位置までは分からない。
「ここだよ」
 コンコンと、呼ぶようにクラウドがガラスをノックする。
 スピーカーからではなく、直接与えられる振動に全身で耳を澄ますと、その音を追うようにザックスは身をかがめた。クラウドの目の前にザックスの顔が現れる。
「ここ?」
「うん…。ザックスがよく見える」
「そか…。良かった。場所、覚えたぜ」
 ザックスが口元がニッコリと微笑む。その微笑みにクラウドの胸が少し熱くなる。ポッドの隔たりがあるとしても2人の距離はとても近い。こんな近くで顔を見れたのは何年ぶりだろう。手を伸ばせば簡単に届くほどの距離。かつてそれは、当たり前の距離だったのに。

「なぁ、クラウド。身体は大丈夫なのか?」
「え…?」
「切られただろ?セフィロスに…。その後、宝条に…その…何かされただろ?魔晄にも浸かったはずだ、…無事なのか?」
 一瞬、何の事を聞かれたか分からなかったが、続く言葉にザックスが何を心配しているのかが分かった。ザックスの中での時間は、あのニブルヘイムの地下室で止まったままなのだ。
「色々されたけど、今は大丈夫。元気だ」
 安心はさせたかったが、嘘は言いたくはなかった。このまま、拘束をさせておく訳にはいかないし、これを解けば嫌でも分かることだったから。
 ゆっくりでも、傷付ける事になっても、ザックスには真実を告げたいとクラウドは思っていた。
「ザックス…聞いて。あれから…ニブルヘイムのあの日から、時間はすごく流れたんだ」
「……?」
 クラウドの声の震えにザックスは黙って耳を傾ける。その脳波の波をシャルアは黙って見つめていた。
「俺…もう23だ。あれから7年も経っているんだ」
「7年…?」
 ガラス越しにクラウドがザックスを見つめる。あの様々な感情を映し出した瞳は漆黒の布で覆われ、表情からは何も伺えない。
「うん…7年…。俺もその半分以上は記憶がない。でも…それでも色々な事があった。ザックス…今、神羅は解体してあの力は無い。もう俺達を縛るものは何もないんだ」
 その言葉に驚いたようにザックスが頭をあげる。
「まさか?!嘘だろ…一体何があったらそんなこと…!」
 ザックスにとってはどんなに言われても信じられない事実だ。あの絶対的な力の中で生き、己の尊厳を粉々にされるほど支配の力を刷り込まれた。それがソルジャーだ。それに屈しようとは思わなくても、刷り込まれた事実には抗えない。
「崩壊したんだ。セフィロスが全てを壊そうとしたから。」
「……」
「俺の話、聞いてくれるか?」






 それから、ゆっくりと時間と日をかけてクラウドは話していった。
 話の始まりはミッドガルの駅のホームでティファに助けられた事から始めた。クラウドがザックスを忘れ、記憶のすり替えと作り替えを行った自分の愚かさを隠さずに、事実をそのままに。
 セフィロスが死んでいなかったこと。
 エアリスがセフィロスに殺されたこと。
 星は己の力で自分を守ったこと。
 そして、再びセフィロスは蘇り、災いとなったこと。

 ザックスは黙って聞いていたが、それでも耐えきれないのか、脳波を管理していたシャルアに強制的に眠らされることがあった。
 クラウドが耐えきれなくて翌日に持ち込むこともあった。
 塞がりかけた傷が広がり、また血が流れ出す。過ぎた事とはいえ、昔の出来事として語るにはあまりのも近すぎる過去だ。それでも、クラウドは話を止めず、ザックスも耳を傾け続けた。

 ただ、その中でもどうしてもザックスの死については言えなかった。ザックスの死は、今の彼を否定するような気がしていたから。
 今はまだ、言う時じゃないと、クラウドは固く口を閉じていた。



「…大変だったんだな…」
 長い長い話の後で、ポツリとザックスが呟く。
「でも、クラウドがそんなに強い男になって…嬉しいよ、俺。 セフィロスを止めてくれて、ありがとな…」
 寂しそうな微笑みを浮かべて、ザックスはそう囁いた。
「なんで…アンタが礼を言うんだ?」
 ザックスとセフィロスは戦友だった。戦地を共に走り、互いに友の死を乗り越え、ソルジャー同士でなければ分からない生死をかけた深い絆がある。だが、クラウドはそれを知らない。
「…あ…ん、…そうだな。俺が言うのって、変だよな……ごめん」
「ザックス?」
 聞いた事もないほど弱りきったザックスの細い声に、クラウドの方が不安になる。
「……シャルア…少し眠りたい。俺の意識閉じて」
「待ってくれ、シャルア! …まだ」
「悪いがクラウド、ザックスが限界だ。ここまでにしてくれ」
 シャルアのドクターストップでザックスの意識が落ちていく。
 その日、初めてザックスは自分の意思で眠りについた。WROに来てから1ヶ月が経っていた。





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