■ 「あと5分」の後の敗北 02 |
「ザックス、用意出来たぞ」 「……」 「お腹が空いてたんじゃないのか?」 「……」 「せっかく作ったのに、食べてくれないのか?」 「……」 「ザックス。俺が、悪かった…だから、機嫌を直してくれ」 ため息をつくアンジールの視線の先には、ソファの背に向かってクッションに顔を埋めて丸くなるザックスの姿があった。 オーブンの時間を5分延ばすこと。 たったそれだけの為に揉めたあげく、ザックスに隙を作らせるために強行突破のキスをした。 大人のズルイ反則技である事は承知していたが、それによって返ってくるリスクは思っていたよりも大きく、ザックスは完全に機嫌を損ねすっかりスネてしまった。これを宥めるのは容易な事ではない。 「ザックス」 アンジールが声をかけてソファの隣に座ると、ザックスはギュッとクッションを掴みますます丸くなる。失った信用は大きい。 「分かった、分かった。何もしないから…。なぁ、ザックス。せめて返事をしてくれないか。これでは、仲直りのしようがない」 頼むからとアンジールが下手に出ると、ザックスはようやくクッションを抱えた腕の力を抜く。仲直りの意志あり。それの意思表示にようやくアンジールはホッと息をついた。 「ありがとう。少しでいいから、顔を見せてくれないか?」 「…ゃだ…」 「なら、ザックスが俺の顔を見てくれ。その方が本心が伝わるだろう?」 「……」 少しの間をあけて悩んだ後、ザックスはクッションとの隙間からチラリを視線を覗かせた。だが、ザックスのその目にアンジールは驚き、目を見開く。 「お前…泣いてるのか?」 ザックスの目は完全に真っ赤になり、クッションに小さな染みを作っていたのだ。 「…泣いてねぇもん」 「泣いてるじゃないか。そんなに嫌だったのか?!」 そこまで自分は酷い事をしただろうか、とアンジールはアンジールで混乱する。 ザックスとは教育係と新米ソルジャーという関係から始まり、数々の難題をのりこえて深い繋がりへと発展した。そんな仲においてのジャレ合いのようなキスがそれほど悪い事だっただろうか。 だがそんなアンジールの困惑した顔に、ザックスはなおさらしょんぼりと眉を下げた。 「…違う。ただ情けなくて…」 「情けない?」 「アンジールがただのジャレ合いのつもりだったのは分かる。ただ…、アンジールはそれが出来るくらい余裕があるのに……俺には全然無いから…」 「…ザックス?」 「…俺には全然余裕が無いから、いつまでたっても俺ばっかが一方的に好きなんだなって思ったら、…だんだん自分が情けなくなっちゃって…」 「……」 「ごめん…アンジールは、悪くない…ホントに…俺が、好きなだけだもん…」 そう言ってザックスはぐすんと鼻をすすり、再びクッションに顔を埋めた。 恋は惚れた方が負けというのなら、ザックスは一生アンジールには勝てない。キスひとつでうっとりしてしまう溺れようなのだ。このままいいようにあしらわれ続けたとしても抵抗すら出来ない。 自信がないのだ。自分の気持ちだけが空回りしているようで、アンジールに想われている自信がない。ザックスのしょんぼりと丸まった背中はそう物語っていた。 「……。今日は、何の日か分かるか?」 少し時間をおいた後、アンジールは落ち着いた声で質問した。 「………今日?」 「お前がこの家に来た日だ。ちょうど2年前だな」 そしてアンジールはその大きな手でザックスの黒い髪をくしゃりと撫でる。 「お前はまだなりたてのソルジャーで、制服のズボンの中に平気で菓子を入れておくくらいの子供だった。まるで遠足みたいにミッションに行こうとするから、それを見かねたラザードが心配のあまり俺に任せたのが2年前の今日だ」 「……」 ザックスが大きな目を見開き食卓の上を見る。するとそこには、沢山のご馳走と一緒にカードが置かれていた。 『2nd anniversary of the living together(一緒に住んでから2年目のお祝い)』 「昨年はミッション中で出来なかったからな。今年はその分も含めて豪勢にしてみた。休みが取れて良かった」 そしてアンジールは優しく笑う。 その笑顔に、ザックスの記憶の中から2年前の事が蘇った。 そういえば、アンジールはあの日もこうやって笑顔とご馳走を用意して歓迎してくれていたのだ。『経緯はどうあれ、一緒に住むことになった以上家族も同様だから、これから毎年お祝いしよう』と言って…。 アンジールはそれを今も守ってくれようとしている。 そんな事を考えてくれていたなんてザックスは欠片も考えていなかった。 それどころか… 「ザックス。お前、忘れてたろう?」 「…う…っ」 ズバリの的中にザックスの肩がビクンと揺れる。 形勢は一気に逆転していた。 「なぁ、ザックス。誰が一方的だって?」 「……」 アンジールの大きな手かザックスの頭頂からこめかみをなぞるように通る。顔は笑顔だが目が怖い。 「俺がお前の年齢を気にして、こういう仲になるのにかなり悩んだことは話したよな?なのにお前はそんな風に思ってたのか?」 「……ぇ、ぇと…」 そしてザックスの頬に伸びゆっくりと撫でると、その柔らかい頬肉をキュッと摘んだ。 「後でおしおきだ」 「ほ…ほめんなひゃい…っ」 別の意味でへにゃりと下がるザックスの眉も、アンジールにはさんざん見慣れてきたザックスのチャームポイントだ。それで勘弁してやるほどアンジールはお人よしではない。 「夕食はたっぷりと食っておけ。後でたっぷり【本物の意地悪】をしてやる」 「ひぇ…っ!」 恋は惚れた方が負け。 なんてもんじゃない。 惚れている間はずっと負け。 アンジールの大きな愛情の前にはずっと負け。 でも、こんな敗北なら別にいいのかも…と、白旗をあげながらザックスはちょっとだけ思う。 ただ、できれば おしおきの意地悪だけは、どうかお手柔らかでありますように… end. |
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