■ After The Battle サイドストーリー 
沈黙の繭 
05 眠りの鞘 

  

 翌朝、空が白み始めた頃、ジェネシスの母のアリアはジェネシスを迎えにやってきた。

「心配したのよ」と、愛しそうに頬を撫でられながら顔を覗きこむアリアに、ジェネシスはプクリと頬を膨らませる。
「俺、行きたくないって言ったもん…」
「だからって、知らない間にいなくなったりしたら心配するでしょう?本当に言い出したら聞かないんだから…」
『めっ!』と、最後に軽く互いの額をコツンと合わす。アリアのお説教はいつもこれで終わりだ。
 その甘ったるい叱り方に、アンジールはプッと小さく笑った。
 まだ若いアリアはジェネシスに甘く、その叱り方は少しも怖くはない。だが、そのあからさまな甘やかしこそが気の強いジェネシスにとってはとてつもなく恥ずかしいらしく、いつも顔を真っ赤にしてはワタワタと退散する。
 今日もまたアンジールに笑われた事が恥ずかしくて、顔を赤くしながら母の手を引いた。
「もういいだろ!帰ろ!」
「はいはい。アンジールくん、またね」
「うん。 またなジェネシス」
 母の手を引いたままアンジールに顔だけ振り返ると、ジェネシスは少し声を荒げながら手を振った。
「あとで学校で!その時にちゃんと結果を言うから、絶対に来いよな!」
 結果とは、昨夜約束した件の事だろう。もとより、アンジールもジェネシスも学校を休んだ事などないのだから、あえて『絶対に』を付ける心配も命令する必要もないのだが、そこはジェネシスの照れ隠しだ。
「うん。分かったー」
 そんなジェネシスの内心が手に取るように分かるアンジールは、必死に笑いを堪えながら見送り手を振った。

 白み始めた空は、時間を追う毎に青く澄み切った色に変わって行く。
 もしジェネシスが両親から何か聞くことができれば、何か分かることがあるかもしれない。
 ジェネシスも一緒にいてくれるなら大丈夫。
 きっとこれから上手くいく。

 そんな淡い期待がアンジールの中にも生まれていた。








 だが、そんな淡い期待は、いとも簡単にかき消されてしまう。

「ジェネシスは暫く学校を休むそうだよ」
「え…?」
 小さな学校の2つだけ机の並んだ教室。
 そこにやって来たアンジールに、教師であるレイドはそう告げた。
「高い熱が出たらしい」
「でも先生、ジェネシスは朝まで…」
「暫く会えなくなるけど、アンジールはジェネシスの分までがんばろうね」
「でも…」
「さぁ、授業を始めるよ」
「先生…?」
 まるでその件はこれでお終いと言わんばかりに早々と切り上げようとするレイドに、アンジールは違和感を感じ眉を潜める。
 そして教室の中を見渡し、その一角に見慣れない小さな黒い箱を見つけた時、その理由を理解した。
「…あれは…」
 昨日まで無かった小さな黒い箱。その一角にはレンズが付いており、教室の内部を全て写す位置に設置されている。
 神羅により設置された監視カメラ。アンジールがそれを理解するのに、時間はかからなかった。
「アイツ…」
 ホランダーの監視が村の中で平然と行われている。
 それは、村全体がまたあの異常な空気になる事を意味していた。
「アンジール」
 忌々しそうに眉を寄せるアンジールを宥めるように、レイドはそっとその肩に手をかける。
「何もしなければ大丈夫だ。村から離れず、君はいつも通り普通にしていればいい。さぁ、座って」
『この状況に耐えなさい』そう暗に言われ、アンジールはただ黙って静かに席へと座った。



 1人だけの授業を終えると、アンジールは足早に家へと急ぐ。
 皆、家の中に篭っているのか、人の姿はあまり無い。
 だが、ほんの少し意識すればそこかしこに学校と同じ監視カメラが設置されているのがわかった。
 通りに面した柵。
 一面を見渡せる木の枝。
 風車の壁。
 それはまさに、村中が監視するという言葉通りの徹底振りだった。

「お母さん!」
 家に帰ると、母の薬屋へと駆け込む。そこには薬研台に向かう母が背を向けて立っていた。
「お母さん、ジェネシスが…」
「…ええ、知っているわ。熱を出したなんて心配ね。でも、さっき薬を届けてきたから大丈夫よ」
「お母さん…?」
 振り向かずに淡々と答えるジリアンの不自然さにアンジールは不安げに眉を寄せる。
 まさかと思い部屋の中に目を向ければ、やはりそこにはこちらを写す監視カメラがあった。
 1つ2つ…。
 おそらくアンジールの家の中にはもっと多くのカメラが設置されているかもしれない。
 家の中でも余計な事は何も言えない。そういう事だ。

 その事実に警戒するアンジールの目の前で、ジリアンは無言のまま百味箪笥から新たな薬草を取り出すと分量を量り、それを薬研の窪みへ落とすと再び車輪を動かす。
 ザク、ザク…という薬草が粉末にされて行く規則的で淡々とした音が、まるで何かをかみ殺す音のように部屋中に木霊し、アンジールの胸をざわめかせた。
「…ね、おかあさ…」
 いたたまれない不安にアンジールは頭を振り、目の前に並ぶ薬研台に視線を落とす。
 と、その中に封を開けたばかりの真新しいビンに気が付き、そのラベルに小さく書かれた文字に目を見開いた。
 今までこの薬部屋には無かったそのビンに書かれた文字は『General anesthetics』。
 全身麻酔薬だ。
「……!」
「アンジール」
 ジリアンはアンジールの息を呑んだアンジールの言葉を遮るように膝を折ると、息子の両肩に手をおき自分へと振り向かせた。
「心配はいらないわ。数日の我慢よ」
「でも」
 見慣れぬ強力な薬の存在にアンジールは動揺し、視線がさまよう。
 母が日頃使わない、この村には無かった強力な薬。そんな劇薬を手に入れられるのはこの村を出ていたジェネシスの両親しかいない。
 そして今、この村で眠っているのは…
「もしかして、ジェネシス…」
「アンジール…!」
 動揺するアンジールの肩をジリアンは強く掴むと、言い聞かせるようにハッキリと言葉をつむいだ。
「あなたはいつも通り『普通』にしていて」
「……」
「あなたは出来るわよね?…アンジール」
 そんな母の祈るような声に、アンジールは確信した。


 ジェネシスは大人達によって眠らされた。

 ホランダーの監視から、ジェネシスだけが、かくまわれたのだ―――。







 バノーラ村の陽が暮れて行く。
 アンジールは取り残された子供のように、1人で部屋の中から空を見上げた。
 アンジールの部屋の窓からは夕日を見る事は出来ず、ただ藍色に染まっていく空と、闇に包まれる森だけが視界に写る。
 その森の闇の中からもホランダーが自分を見ている気がして、アンジールは急いで窓を閉じカーテンを閉めた。
 だが、そのカーテンを閉めても、部屋の中には監視カメラがある。
 そのカメラの視線から逃れるようにアンジールは頭まで毛布をかぶると、耐えるように眉をきつく寄せて丸くなった。

 アンジールの中に『父』と名乗られた事がよぎる。
『父親にはならない。だが所有権がある』そうホランダーは言った。その意味が何なのか、子供のアンジールには分からない。
 けれど、あのホランダーの子かもしれないと思うだけで、嫌悪が走った。
 母譲りだと思っていた黒髪も、ホランダーの血かと思えばかきりむしりたくなる。
 ホランダーがアンジールを見るあの眼は、母のものとも父のものとも違う。どの大人達とも全く違う。
 まるで、何かの実験動物を観察するような、無機質な眼。

 怖い。

 なのに何故母は、大人達は、その視線から自分を守ってはくれないのか……




『村から離れず、君はいつも通り普通にしていればいい』

『あなたは出来るわよね?アンジール』

『母さんが守りたいのは、ジェネシスなんだと思う』

 晒される視線の中、アンジールの中の小さな棘が静かに疼きだしていた。



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