■ 言葉の確証 

 


「なぁ、セフィロス…」
 おそるおそる声をかけると、執務室のデスクに座ったままセフィロスはギロリと視線だけあげてきた。明らかに不機嫌なその視線に、ザックスの肩はビクリと震える。
「…いらん。預かってくるなとあれほど言っておいたろう」
「え?何だか分かんの?」
「分からんと思う理由が分からん」
 眉間に皺を寄せて、セフィロスは溜め息をひとつ零した。
 ザックスの両手にぶら下がっている大きな紙袋の中には、沢山のラッピングされた箱がひしめきあっていた。一目瞭然、それはバレンタインのチョコレートだ。

 英雄であるセフィロスのもとには、毎日沢山のプレゼントが届く。バレンタインなどの行事になれば、それはまともに直視できない程の量にまで膨れ上がる。
 当然、個人では対処出来るレベルではなく、贈り物は全て会社が対応をとっていた。結果、セフィロスの元には何も届かず、至って平穏な日々を送れていたのだ、ザックスが副官になる前の去年までは。
「でもさ、みんな必死で…涙目で頼んでくるんだ。一生懸命作ったと思うと、邪険にできなくて…」
「そういうお前のお人好しな所につけ込まれるんだ。いいから総務にもって行け」
「でも、チラッと見るだけでも」
「匂いも断る」
「……」
 取り繕うしまも無いセフィロスに、ザックスは愕然となり言葉を失った。
「ザックス」
「……うん…」
 セフィロスにドアを指差され、しょんぼりとしたままザックスは執務室を出ていった。

「匂いも断る…か…。ごめんな、みんな」
 人気の無い廊下に出るとでガックリと力を落とし、ズルズルと壁にもたれて座り込み、紙袋の中を覗き込んで贈り主達に謝罪をした。
 確かにセフィロスからは数日前から受け取るなと何度もしつこいくらい言われてきたし、理由も納得がいくものだった。なので、当然ザックスもそのつもりではいたのだ。
 けれど、バレンタイン当日になって、真っ赤な顔で必死に、それこそ最期の頼みの綱のような目で『届けるだけでいいから』と縋って訴えてくる女性達を、ザックスは冷たくあしらう事など出来なくなってしまった。
『答えなんて無くていい。ただ、気持ちだけでも伝えたい』その健気な想いがよく分かるから。
「やっぱ、相手が悪いよ…あのセフィロスだもん。…な?俺」
 重い溜め息をひとつ息を吐くと、ザックスは自分のズボンのポケットから小さな箱をひとつ取り出す。それは、ザックスがセフィロスにと用意したチョコレートだった。


 セフィロスとザックスは特別で曖昧な関係だ。

 英雄とその副官と言えば一番明確だが、その内容は上司と部下の枠を超える。
 ザックスは他人が寄り付けない(寄る事を会社が許さない)英雄の身の回りの世話から、ミッションのパートナーまで何でもこなす。
 望まれれば身体を重ねる事も厭わず、その回数はすでに数え切れない。
 もちろんそれらは仕事の延長で出来る事ではなく、ザックスには充分に自覚はあった。ザックスが感じる限り、セフィロスも同じだとは思う。
 根拠と言っていいか分からないが、セフィロスがそんな抱き方をするからだ。
 快楽と幸福に溺れ、満たされ、心も身体もぐずぐずに溶かされて何も考えられなくなる。そんな行為は、心が伴わなければ出来るものではない。
 けれど、互いに好きと言った事は無かった。甘い約束をした事も無ければ、囁いた事も無い。
 他に変わりなどいない存在だと肌で感じるのに、言葉の確証はないそんな微妙なバランスの関係。

 嫌じゃない、嫌じゃないけれど、出来ればもう少し確証が欲しくて…


 だからザックスはチョコレートを用意してみたのだ。なんて事ない市販の品だけれど、重くなりすぎず、軽くなりすぎないものを一日中歩き回って探した。
 これを渡して、もしセフィロスが微笑んでくれたなら、どさくさまぎれでも、ふざけ代わりでもいいから「好き」と言おうと思って。
 けれど、結果はものの見事に玉砕。
 セフィロスは誰の想いも受け取らない、見もしない。
 でもそれが、孤高の英雄という立場に必要ならば、セフィロスが望むならば、自分もそれを受け入れなければならない。
 傍にいられる分、肌で感じる分、自分は恵まれているのだと言い聞かせて。


「あーもー!落ち込んでるのとか、良くない!俺も終了だ!終了!!」
 潤んだ目に喝を入れるためにパンッと自分の頬を叩き、持っていたそれを紙袋の中に入れた。後は総務へ持って行けば、良いようにしてくれるはず。
「よし!それでおしまい!」
「何がおしまいだ?」
「?!」
 突然頭上からかけられた声に振り返れば、いつのまにか開いていたドアにセフィロスが立ち、自分を見下ろしている。
「セフィロス?!どうして…」
「いつまでもドアの外で落ち込まれていれば嫌でも気になる。それより来い」
「え?!ちょっ…ちょっと…おわ!!」
 右手でザックスの襟足を、左手で今紙袋に入れられた箱を手に取られると、そのまま執務室に引きずり込まれてドアを閉められた。



「ザックス。 これは?」
 壁に立たせられ、行き場を無くすように両腕で塞がれて目の前にチョコの入った包みを振られる。
 ザックスを真っ直ぐに見るセフィロスの目は明らかにイラ立ちを含み、ザックスには直視が出来ず視線を逸らせた。
「…何でもない」
「本当に何でもないのか?」
「うん…何でも無い」
「そうか…」
 もう決めたのだからと、ザックスは俯く。覚悟も腹をくくるのもこれからだが、とにかく決めた。
 今の関係を受け入れて、大人になってセフィロスを支えていけばいい。それが正しいのだと。
「なら、これはもういらないな」
 コトリと、セフィロスの手から箱が落ち、ザックスの視界の中の床に転がって行く。それを見て、『サヨナラ、俺の甘ちょろい恋心…』と、ぼんやりと思ったその瞬間。
 グシャリと音を立てて、セフィロスの足がそれを踏み潰した。
「ヒ……ッ!!」
 引きつった息を吸い込み、悲鳴が攣れる。ザックスの大きな眼が信じられない光景に大きく見開き、何があったかを理解するよりも先に両の目からは涙がボロボロと溢れ出していた。
「な…ンで…なんで…」
 ドアの所で立って見ていたのなら、それがザックスからのプレゼントだと言う事はセフィロスには分かっていたはずだ。だからこそ「これは?」と聞いたのだろう。
 それに対して「何でもない」と答えたのは確かにザックス自身だ。もしかしたら、それがセフィロスには気に入らなかったのかもしれない。けれど、だからといって踏み潰す程の理由はどこにあるのか。
 信じられない。信じたくない。
 足を退けた後には、ひしゃげた箱が無残な姿を晒していた。まるで、自分の心のように。
 言葉は無くても心はあると思っていた、そんな自分の支えもろとも踏み潰された気がした。
 
「ひ…ぅぇ…酷ぇよ…セフィロス…ゥ」
 涙が止まらない。喉が焼けるように痛い。やっと振り絞った声も、どれほど出せたか分からないほど小さく脆い。
「酷いのは、どっちだ」
「…?」
 だが、傷ついた声を出しているのはザックスだけではなく、セフィロスも同じだった。
 あまり聞いた事がないセフィロスの細い声に、ザックスが顔をあげる。涙で視界がぼやけて何も見えなかったが、セフィロスもまた、潰れた箱を見ているのだけは分かった。
「…なン で…?」
「会社に渡せば良くて再利用。それ以外は燃やされ塵も残らない。お前は、そうする為に俺にこれを買ったのか?」
 セフィロスの視線がザックスの顔に戻ってくる。ザックスは必死に涙を拭い、セフィロスの顔を見ようと何度も目を擦った。
「だってそれは…アンタが受け取ってくれなったから…」
「俺がいつ断った? そもそもお前は俺に渡したか?」
「……ぇ…、ぇっと…」
 そう。渡しては、いない。
 他の人の分を断るのを見て、勝手に自分も断られた気になっただけ。
「……セフィロス」
「…ん?」
「セフィロス…もしかして…。俺からのチョコ、待ってた…?」
 真っ赤になった目にまだ薄い水の膜を残したまま見上げた先には、ひどくバツの悪そうに拗ねた笑いを零すセフィロスの小さな笑顔があった。
「セフィ…」
 でも、それが見れたのも一瞬で、すぐに塞がれてしまった唇に再び瞼は閉ざされ、優しく甘い深い口付けに涙がまた溢れてこぼれた。
 
 

「なぁ、本当にそれ食べるの?」
 ようやく涙の止まったザックスを膝に横抱きに座らせ、セフィロスはデスクで潰れた箱を丁寧に綺麗に開けて行く。
「当然だ。お前からのプレゼントだろう」
「そうだけど…つぶれちゃってるし」
「構わん」
「それに、市販のだし」
「いいんだ」
 箱を開ければ、ものの見事にグシャグシャになった3個分のトリュフチョコ。その破片を集めながら食べづらそうに英雄は口の中に収めていく。
 大きなセフィロスが小さなカケラを集めて舌の上に乗せて行く姿は何だか可愛らしくて、やっとザックスは小さく笑った。
「食べてくれんなら、手作りにすればよかったな」
「今からでもいいぞ」
「仕事どうすんだよ」
「それぐらい補ってやる」
「そんなに欲しいの?」
 ザックスがちょっと驚いて目を見開くと、セフィロスは驚かれた事自体が心外だとばかりに口をへの字に曲げた。
「ああ、欲しいな。そして、やり直せ」
「やり直し?」
「そうだ。渡してその後どうするのか、やり直しだ」
「……」
 それを聞いて、ザックスの頬は赤く蒸気する。つまりは「好き」と伝えて欲しいのだ、英雄は。
「い、言ってもいいけど…その代わり、返事もちゃんとくれよな?」
「俺も?」
「お、俺ばっかじゃ、ズルいじゃん…」
 言葉で示していいと言われたならば、自分も言葉が欲しくなる。言葉の確証は互いにあってこそ成立するのだから、どうせなら確たるものにしたい。
 だが、真っ赤な顔でやっと言えたおねだりも、セフィロスは意外そうに目を瞬かせてしまう。
「俺はいつも言っているだろう?」
「は?」
「言いながら抱いてる。 まぁ、もっともお前は啼くのに必死で聞いていないのかもしれないが」
「ば…っ!!!!」
 ボッと音が聞こえるほど、ザックスの全身の血液が一瞬で沸騰した。
 もう、どこに何をツッコんだらいいかも分からないし、事の事情をどう整理して理解すればいいかも分からない。
「っ…!た…、ば…ッ…か…!」
 何をどう言ったらいいか分からず、ただ口をパクパクさせるだけのザックスの顔を、セフィロスはまるで面白いものを見るかのように口角をあげて覗き込む。
「で、どうする? 今から最初からやり直すか? それとも事実を確認するか?」

「お前が納得するまで付き合ってやる」と耳元で囁かれ、ザックスの頭は完全にスパークする。

 ああ…これがダメだんだな。こうなるから、何もかも分かんなくなっちゃうんだな、俺…。

 快楽と幸福に溺れ、満たされ、心も身体もぐずぐずに溶かされて。
 だから、何も考えられなくなる前に、その一言だけは伝えておこう。


「…セフィ…」

 
「…だいすき」


 柔らかな真っ白の暖かい世界で感じるのは、きっとあなたの匂いだけ。






END










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