■ パピィ・ソルジャー 

 

「えっと…ジェネシス。あの…」

「なんだ仔犬。犬語じゃなく人の言葉で言え」
「犬語なんてしゃべって無ぇし…!」
 ジェネシスの執務室で2人きり。ソファにゆったりと座ってくつろぐジェネシスの横で、ザックスは突っ立ったまま肝を冷やしていた。
「だから、あの…あの、これ!」
 思い切ってジェネシスの目の前のテーブルの上に置いたのは、有名ブランドの個数限定のバレンタインチョコレート。
 ジェネシスの為にと、ザックスが朝早く並んでやっと手に入れた一品だった。
 にも関わらず、ジェネシスの反応は冷たい。
「…どこで拾ってきた」
「拾って無ぇよ!俺が買ったの!女の子ばっかの列にいるのすっごい恥ずかしかったんだからなっ!」
 赤い顔で半泣きになりながら言い返すも、フンと鼻で一笑されてしまう。
 優しく微笑んで喜んでくれる…なんてことまでは期待してなかったが、仮にも恋人。
 バレンタインにチョコレートを用意して気持ちを伝えようとした相手にこの言いようは無いだろうと、ザックスは本気で泣きたくなった。

 これでも、必死に何がいいか考えたのだ。
 何かをあげるにしてもジェネシスは物に不自由は無く、金銭的にもセンス的にも自分より上。
 ならば基本に戻って手作りのチョコレートとも思ったのだが、舌の肥えてるジェネシスに「下手くそ」と罵られるのは確実。
 だったら行動で努力してレアな品を…と、このチョコレートに行き着いたのだ。
 沢山の女の子の中、長身のソルジャーが一緒に並んでいれば異常に目立つ。時に愛想笑いで、時に聞こえないふりでそれを必死にかわして買ってきたというのに。
「みんなクスクス笑うし、何だか分からないけど沢山写メも撮られたし…」
 思い出すと恥ずかしさで涙が滲む。あの写メにはきっと耳まで真っ赤な自分が映っているだろう。
 あの写真はいったいどうなるのか…こうしている今もどこかで誰かの笑いの種にされているのかと思うと、考えただけでもいたたまれない。
 勝手な苦労を押し付けるわけではないが、そんな思いまでして頑張って買ったチョコレートなのだから、もう少し喜んでくれてもいいんじゃないかとザックスは思う。

「…そうか…そんな事があったか…」
 だが、淡い期待を込めてチラリと覗いたジェネシスの表情は、明らかに不機嫌になっていた。
「ジェ…ジェネシス?」
「仔犬。ちょっと来い」
「ひ…っ」
 顔も見ずにチョイチョイと指で免れ、ザックスの背筋に冷たいものが走り顔がひきつる。
 不機嫌なジェネシスに呼びつけられ、良い方向に転んだ事なんて一度も無い。大抵は確実にジェネシスのドSスイッチが入ってしまうのだ。
 そうなったら最後、理不尽なんて通用しない。ザックスの言い分なんて関係の無い世界に突入してしまい、世界の中心はジェネシスだという事を受け入れるまで、ひたすら何かをされる。
 前回は身ぐるみ剥がされ寝室に放置された。その前は目隠しをされてバスルームに連れ込まれた。
 あれらの行為に比べれば、女の子の列に入って恥ずかしかった事など、耳の垢にもならないかもしれない。

(苦労したなんて言わなきゃ良かった…!)

 今更ながらの後悔がザックスの脳裏にグルグルと渦巻き、自然と腰が引ける。
 だが、ここで逃げれば確実にスイッチが入ってしまう。ならば、今はまだスイッチが入っていない今ならば、まだ間に合うかもしれない。
(いつまでも負けるな!ここで粘れ、俺…!!)
 かすかな希望を託しザックスの脳裏は無い引き出しを必死に漁った。
「あ、あのさ…、チョ…チョコ、気に入らなかった?」
「……」
「味は…分かんないけど、でも評判いいし、人気あるし…!絶対美味いと思うんだ!」
「……」
「…もし他のが良ければ、俺、今からでも用意…」
「来いと言ったのが、聞こえないのか?」
「……ふぇ」
 ジェネシスの有無を言わせない口調に、ザックスの僅かな抵抗力はポキリと折れた。

(ああ…どんなおしおきをされるのか…出来ればすぐに終わるのがいいな…)

 言われの無いおしおきを覚悟してジェネシスに近付くと、突然腕を引かれ視界が揺れる。
「うわっ…!」
 気がつけばジェネシスに覆い被さるようにソファの背もたれに手をついていた、ギリギリで衝突を防いだ反射神経はさすがソルジャーのもの。
 が、視界いっぱいに広がった綺麗なジェネシスの顔を見て、ザックスの頬は染まり鼓動は早まる。
「……っ」
 不機嫌を露わにされた危機的状況の中であるにも関わらず、それでも『美形って不機嫌でも綺麗なんだな』と少しピントのズレた事を思い惚けるザックスに、ジェネシスから下った指令は意外な内容だった。

「仔犬。キスで俺をその気にさせてみろ」
「え…?」
 予想していなかった内容にキョトンとするザックスの唇に指を這わすと、「二度は言わない」とジェネシスはさっさと腕を組んでしまう。
「え、…えっと…」
 そのままジェネシスはザックスに触れずに、だだ黙って見つめ始めてしまった。
 つまり、ここで逃げるも従うもザックス次第という事になる。
「……」
 もし逃げたら、後で相当酷い目に合うかもしれない。けれど、そもそも恋人とキスをするのに、逃げる理由があるだろうか。
 言い方は傲慢だし、意図している事も分からないが、要はキスのおねだり? そう思えば、ザックスとて悪い気はしない。
 ザックスはおそるおそる顔を近づけると、ジェネシスの薄い唇に自分のそれをそっと重ねた。



「…ん、…んぅ」
 チュッと、小さな音を立ててジェネシスの唇を吸い上げる。鼻にかかった甘い声をあげながら、薄く開いた歯の隙間から舌先を入れて歯列をなぞり、もう少し開いてくれとサインを送った。が、ジェネシスはそれに応えない。
「ジェネシス…」
 目許を潤ませ、困って見上げてもジェネシスは変わらずザックスを見つめたまま腕を組み、表情を変えない。
「ジェネシス…、なあ、ジェネシスってば」
 膝の上に座って首に腕を回して擦り寄っても、組まれた腕が邪魔をして身体が密着しない。
 キスは自由にできても、それに応じてもらえないのであれば、これは何の為の行為なのか分からなくなる。
「なぁ…なんで怒ってんのか教えてくれよ…嫌だよ、こんなの」
 眉尻を情けなく下げて、助けを求めるように唇を合わせる。応じてもらえないキスは、これ以上深くはできず、火照った熱も空回りをし、ただ切なさだけが募るだけ。
「…ジェネシス…」
 ポロリとザックスの頬に一粒涙が零れる頃、やっとジェネシスはため息を吐いて反応を示した。

「下手くそだな。キスもろくに出来ないのか、お前は」
「…ぅ……ごめん」
 組んだ両腕をほどき、まだまだ未発達の身体を包めば、やっと与えられたぬくもりに安心してザックスも抱きつく。
「それでも許せるのは、お前だからだ」
「え?」
 耳元で囁かれた言葉にザックスは顔を上げようとしたが、抱き締めるジェネシスの腕の強さで再びすっぽりと包まれた。
 ジェネシスは愛情を示す時、顔を見せようとしない。それが日頃なかなか愛情を示さない彼の照れ隠しなのだと思うと、触れ合う肌から暖かさが満ちてくる。
「お前なら下手で構わない。どこぞの誰が作ったかも分からない品など、俺に喰わせるな」
「……」
 つまりそれは、どんな高級チョコよりも、下手くそでもいいから手作りの方がいいって事だろうか。
 さっきまでの切なさは消え、ザックスは耳まで赤くなる。
「そ…そういう事は、先に口で言えよ…!」
「先に言ったら調子に乗るだろう」
「そ…そうかもだけど…」
 だからといって、こんなキスの焦らしプレイまでされて覚えさせられるのでは堪らない。
「来年は…ちゃんと作る」
「そうしてくれ」
 頬を寄せ、摺り合わせて約束をした。
 ジェネシスは基本、意地悪でドSだ。が、その分、こうして分かり合える喜びは大きい。
「うん。だから、ジェネ…」
「それから」
「え?」
 仲直りのキスが欲しくてザックスは顔を上げるが、見上げたジェネシスからは再び不機嫌のオーラが立ち始めており、今度は何事かと顔をこわばらせる。

「俺の許しもなく勝手に可愛い顔を晒すな。そんなに羞恥プレイがしたいなら俺がいくらでもしてやる」
 スゥッと細くなった切れ長の目に、ザックスの耳にはカチリと入る何かのスイッチの音を響いて、まさに全身が総毛立つ。
「や…やだ!違う!」
 必死に抵抗する身体を抱え、ジェネシスは大股で向かった先は、壁全面に広がるような大きなガラス窓。
「ちょ…っ!やだ!なんで窓?!」
 窓に両手をついて立たされれば、外はミッドガルが一望できる眺めの良い景色。逆を言えば、外からも見える室内。
 その場所で、ズボンのベルトをカチリと外された。
「や…ッ!!」
「後は写真だったか?喜べ、子犬。いくらでも撮ってやるぞ」
「うわああああん!やだああああ!」



 その後、真っ赤な顔でチョコを買うザックスの写メは『恋を叶えてくれる可愛いソルジャー』として女性達の間で流行るも、2月が終わる頃には『持っていると3日以内に赤い悪魔に殺される』という噂が広まり、流行りが沈静化したのは、また別の話。






END









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