■ 8分42秒の家出 |
「俺、家出するから」 その日、帰宅したジェネシスを玄関で1時間以上待ち続けたザックスは、「おかえり」の代わりにきっぱりとそう宣言をした。 「…何の話だ」 「決めたんだ。アンタが俺のことちゃんと「好きだ」って言えるようになるまでもう帰って来ない!」 「……」 「そういうこと!じゃ!」と言い切ると、ザックスはジェネシスの反応を見ることもなく大股ですれ違い、意気揚々と玄関を出ていった。 相変わらず騒がしい奴だ。と、ジェネシスは締まるドアを黙って見届ける。 すると、ほどなくししてポケットの中の携帯にメールが入った。 sub: From:Zack Text:本当に帰って来ないからな! 「……、…バカめ」 そのメールを読み、特に関心の無さそうに携帯を閉じると、ジェネシスはリビングへと向かっていった。 【8分42秒の家出】 シンと静まりかえったリビングのソファに、ジェネシスはドカリと長い足を組んで座る。 「好きだ」と、言って欲しい。 要求される事は滅多に無いが、それがかねてからのザックスの願いだと言う事は知っている。 だが、ジェネシスにそれを言う気は全く無い。 好きではないのかと聞かれれば全く違うし、言うのが嫌なのかと聞かれればそれほど嫌なわけでもない。 ザックスの望むままにその言葉を与えれば、おそらくザックスは満面の笑みを浮かべて幸せそうに笑うだろう。 誰よりもやわらかく。誰よりも嬉しそうに。 そんな事は火を見るよりも明らかだ。 だから、なのだ。 だからこそ、言いたくないのだ。 そんなもので得られるザックスの笑顔には、何の興味もない。 むしろ気に入らない。 【子犬は泣かせてこそその価値があり、その涙の果てにこそ真の愛おしさがある。】 それがジェネシスの持論であり、愛情だった。 当然それをザックスが理解できるはずもなく、唯一理解しているであろう幼馴染でさえも「もっと分かりやすくしてやれ」と苦言を呈する。 だが、それが何だというのだ。 ジェネシスにこのスタンスを崩すつもりもなければ、幼馴染が薦める『分かりやすい愛情』とやらの真似事をしようとも思わない。 これが自分であり、これが自分の在り方なのだ。 子犬1匹の為にそれを崩す気など毛頭なかった。 「フン」 ジェネシスが気まぐれに携帯を開くと、再びメールが入ってきた。 sub: From:Zack Text:本気だからな! 連続で送ってくるにしては間隔が早い。つまり、他にする事がないのだろう。 ザックスの行動は実に分かりやすい。 ジェネシスは手早くキーを押すと、そのメールに返信をした。 sub:Re: To:Genesis Text:永遠に帰って来れないぞ そう送信すれば案の定、すぐに返事は返ってきた。 sub: From:Zack Text:他に言うことないのかよ! 携帯を睨みながらカチカチと必死になってキーを押しているザックスの姿が目に浮かび、ジェネシスは可笑しそうに小さく笑った。 そもそも家出と言ってもザックスのこと、こんな事での家出先はアンジールの家に決まっている。つまり隣だ。 sub:Re: To:Genesis Text:何の話だ だが、そのアンジールは10分前に緊急のミッションに出立したばかり。 美味い食事をご馳走になりながら話を聞いてもらい、時間をおおいに潰すつもりだったザックスのアテは見事に外れたわけだ。 sub: From:Zack Text:何ってなんだよ!俺言った!ちゃんと用件言って出てきたぞ! メールを出せば、返事は音速で返ってくる。 大方、アテが外れたまま廊下から移動もせずウロウロしているのだろう。短絡的なザックスらしい行動だ。 sub:Re: To:Genesis Text:そうだったか? sub: From:Zack Text:ざけんな!すっとぼけたって無駄だかんな!あんたはちゃんと聞いたはずだ! これだけ連続するのなら、メールより電話の方がよほど効率的だろうに。 それでもムキになって送ってくるザックスのメールに少々飽き始めたジェネシスは、返信キーを押すと不用な文字だけを削除して、送信をした。 sub:Re: To:Genesis Text:>す聞だ ……。 暫くした後、ジェネシスの携帯は再びメール受信をした。 いつもよりけたたましく鳴ったのは気のせいかもしれない。 sub: From:Zack Text:ふざけんなー!なに俺のメールを使ってすきだとか返してんだ!そんなん嬉しくもなんともねぇ!!!ちゃんと口で言え!ジェネシスのバカ!! どうやら無事に通じたらしい。 「よく気がついたな。子犬のくせに」 少しは成長したようだと、ジェネシスは楽しそうに笑いながら今度はザックスの電話番号をコールする。 RRR--- RRR--- 1回、2回。 口で言えといった直後なのだ。ザックスはきっと大きな目をまんまるく開けて携帯の画面を見ているだろう。 RRR- そして3回目のコールが鳴り止む寸前、期待と不安を混じり合わせながら通話ボタンを押したであろうザックスが、小さくヒュッと息を吸ったその直後。ジェネシスは何も言わずに… 電話を切った。 「うわあああああああああああん!ジェネシスのバカヤローーーーーー!!」 完璧な防音機能もなんのその。 ザックスの心からの絶叫は廊下に響き渡り、ジェネシスの耳にそれはそれは心地よく届いてくる。 それが可笑しくて可笑しくて堪らないとばかりにジェネシスは満面の笑みで声をあげて笑った。 「ははは!いいぞ子犬!今日のお前は最高だ!」 ひとしきり笑った後、ジェネシスは長い足を解き玄関のドアへと向かう。 そこを開ければ案の定、行くアテも無く、悔しいのか悲しいのかワケの分からない恋しさで顔をぐちゃぐちゃにしたザックスが期待以上に背中を丸めてしょんぼりと座っていた。 しょげきって垂れ下がった耳を撫で、立ち上がるように促すと、ザックスは素直にそれに従う。 「おかえり、子犬。短い家出だったな」 「……っく…、…た、だ…いま」 今にも泣き出しそうなザックスの鼻先に口付けてやると、ジェネシスはその腕の中に包み込むように抱きしめる。 ザックスはそれに安心したように、少しオドオドとしながらも素直にしがみ返してきた。 その健気さがとてつもなく可愛らしく、ジェネシスは愛おしそうにそっと漆黒の髪を撫でてやる。 ザックスが理解しようとすまいと関係ない。 この思いは、そんなありきたりの言葉で表せるほど、簡単なものではないのだから。 「いつか、分からせてやるさ…」 「……なんの、こと…?」 「さぁ?何のことだろうな」 ジェネシスの意図が分からず、また困ったように眉を寄せるザックスの耳元にジェネシスそっと口付けを落とすと、最後に小さく囁いた。 「今は分からなくていい。けれど、これだけは覚えておけ。俺はお前を片時も手放す気はない。これからも、ずっとだ」 「……っ!」 ジェネシスの口元にあったザックスの耳が、真っ赤に燃え尽きるのかと思うほど、熱く赤く染まっていた。 end. |