■ After The Battle 
プロローグ 

  
 
 
 夫婦がその怪我をした男を見つけたのは、空がうっすら白み始めた夜明け前の森の中だった。
 

「おいアンタ、大丈夫かい? しっかりおし」
 人目を避けるように大きな木の根元に背を預けてうずくまった男に声をかけ、肩を軽く揺する。
 一体何が起こったのか、男の服はボロボロに破れて血と泥で汚れ、顔や手はおろか体中に傷を作っていた。
 その風貌はいかにもワケ有りなものだったが根っから人の良い夫婦はそれを放っておくことが出来ず、その男の怪我を手当てするべく家まで来るように手を貸した。
 が、男はその救いの手に首を振ると「私よりこの子を」と、大事に抱えていた毛布を差し出したのである。
「…子供?」
 夫婦が首を傾げながら毛布を捲ると、中には小さな小さな幼児がスヤスヤと眠っていた。
 みた所、2歳になるかならないかくらいだろうか。
 小さな頭に丸くぷくぷくとした頬。クセがありそうな黒髪は元気いっぱいにあちこちに跳ね、凛とした眉からは意志がハッキリしていそうに見える。だが、まだまだ幼子独特の柔らかさと暖かな匂いのするその子供は安心しきった表情のまま、スヤスヤと寝息を立てていた。
「なんて可愛い子」
 子供に恵まれていなかった夫婦はその愛らしさに目を細め、子供を抱きあげ頬ずりをする。すると幼子は眠りながらもくすぐったそうにフニャリと笑い、さらに夫婦を喜ばせた。

 その様子を見た男は安堵するように僅かに微笑み、そして決心をして頭をさげた。
「突然の申し出で驚かれるだろうが…どうか、この子を育てて貰えないだろうか」と。
 当然、夫婦は目を見開いて驚いた。世界は決して裕福と言える時代ではなく、戦争で孤児になる子もいれば貧しさを理由に売られる子もいる。
 この目の前にいる男がそれのどれに値するかは分からないが、子供を手放す行為は子供の事を思えば決して頷けるものではない。
 だが、「手伝えることはする」「子供に親は必要だ」と説得する夫婦に、男は頑なに首を振った。
 男は追われる身であり、一刻でも早く子供を渡し、この地を離れなければならないと言う。
「私が去らねば、この子にもあなた方にも危険が及ぶ」
 男は眠る幼子の頭を愛しそうに、祈るようにそっと撫でた。
「この子は私の子供ではない。だが、最後の救いだ。私が犯してしまった過ちが災いと化してしまった時の救い…。何も起こらなければその方がいい。だが、もしもの時は…」
 夫婦には男の言っている内容は理解できなかった。だが、ここが男とこの幼子の最期別れが今であること、そしてもうこの男にはそれ以外の選択肢が無い事は察する事が出来た。
「…この子の名前は?」
「ザックス。…元気で人懐こい子だ。よろしく頼む…」
 男は安心したように、だが悲しみの入り混じった微笑みで静かに笑うと、深く深く頭を下げた。
 そして頭を上げると、そのまま踵を返し振り返る事なく歩き始めていく。
 夫婦は幼子を抱きしめたまま、その後ろ姿をただ黙って見送っっていた。
 いつかこの子が自分の出生を知りたくなった時、少しでも糸口になるようにと、ただ黙って見送っていた。




 男は今さっきまであった腕の中のぬくもりを思い出すように自分の身を抱きしめながら、北の村で同じように預けたもう1人の赤子を思い、妻を思い、娘を思う。
「私の過ちで巻き込んでしまった子供達…どうか、負けないでくれ」
 心の中で贖罪のように何度も何度も祈りながら、愛しいもの達から死神を少しでも遠ざけるために、重い足をひたすら引きずった。



蒔かれた災いの種は3つ。


これらが芽吹かずにすめば、全ては平穏に過ぎるかもしれない。


だが悪魔の魅力をもつそれを、人間は捨ててはおかないだろう。




どうか


どうか、全てのものへ救いを。




 男はボロボロになった体を引きずりながら、ひたすら歩く。
 やがて訪れる裁きの時間を迎えるために。












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