■ After The Battle サイドストーリー 
沈黙の繭 
08 別れ(1) 

  


 手足が重く指1本も動かす事が出来ない深い眠りの闇。
 その中にジェネシスはいた。
 あの朝、母の朝食を食べた直後にこの深い眠りに落ちた。その眠りから覚めそうになると、また母に薬を飲まされまた沈む。
 その繰り返しだ。

 遠くの方から微かな騒音がしても、それがなんだかは分からない。
 胸騒ぎがしていた。
 アンジールの身に何かが起きている。
 何かが起こっているのはわかるのに、そこに駆けつけることが出来ない。

 ピンチになったら必ず助けに行ってやる―――

 自分で言った約束すらも守れないのかと、ジェネシスはぼやけた意識の中で自分を責めた。
 どこかに、どこかにここから出られる所は?
 眠りから覚めるには、どうしたら?


『ジェネシス―――』

 もがくジェネシスに聞こえたのは親友の声だった。
(アンジール? アンジール!)
 必死に答えようとしてもその声は自分の喉から外へは出ない。
 それでも、必死にその声がする方へ意識を向けた。

『ジェネシス、起きろよ―――』

「ジェネシス」
「…ッ…」
「ジェネシス、起きた?」
「…ぅ…」
「起きた?ジェネシス」
「アン ジール…?」

 ジェネシスがうっすらを瞼を開くとそこには、見慣れたアンジールの姿があった。
 時間は夜なのか辺りは眩しくはなく、窓から零れる月明かりだけが優しく部屋の中と親友の顔を照らす。
 静かな夜だ。
「大丈夫?」
「お前…なんで…ぅ…」
 まだ鮮明にならない頭を振りならジェネシスはようやく身体を起こした。
 しばらく動かさなかった身体はどこかしっくり来ず、ジェネシスはその不快感に眉をひそめる。
 アンジールはそれに手を貸して起き上がらせると、コップに注いだ水を渡した。
「無理しなくていいよ、話しに来ただけだから」
「話…?」
「うん」
 ジェネシスが渡された水を飲み、ようやく一息ついた頃を見計らうとアンジールは重い口を開いた。
「……俺、ミッドガルに行く事になった。朝になったら、村を出る」
「え?」
「ホランダーの所に行くんだ。だからジェネシスとは今日でお別れだ」
「……」
 一瞬、何を言われているのか理解が出来ず、ジェネシスはその大きな目をさらに見開いた。

「今までありがとう」
「…待てよ」
「楽しかった」
「待てったら!」
 手にしていたコップをサイドテーブルに勢いのまま乱暴に置く。グラスと木が強くぶつかり合う音が部屋中に響いた。
「どういうことだよ!アイツの事嫌いなんだろ?!」
「嫌いだ。でも、行かないと母さんだけじゃなく、村の皆が殺される。ジェネシスも」
「は?!」
「殺されるんだ…たぶん、村も焼かれる…」
「…お前…何言って…」
「それが神羅のやり方なんだ」
 月明かりの中、アンジールから表情は消え、その青い目は冷たく浮かび上がっていた。
 蝋人形に青白く、その中で瞳だけが冷たい炎のように青く浮かぶ。その光景にジェネシスは言葉を失った。
「……」
「だから行く。アイツに従う。だけど…」
「……」
「絶対に、許さない」
「…アン…ジール…」




 ほんの数時間前、
『死ね、ジリアン』
 アンジールの目写ったのは、ホランダーに銃を向けられた母の姿だった。
 蔑んだ目で、大事な母をまるで使えなくなった道具を捨てるように排除しようとする男の姿。
 殺人を厭わない男の狂気。
 理由も理屈もない。この男の前では人の命は何の意味も無いのだと、嫌というほど理解をした。

 守らなくちゃならない。
 母を、父を、友を、この村の人たちを、
 この狂った男から。

 そう思った瞬間、動かないはずの腕は自然と動いていた。
 発砲される銃の向きを変え、母の命を守る。
 そのアンジールの人間以上の力に、ホランダーはただ勝ち誇った顔で笑っていた。





「…なにが…あったんだ…?」
 不安に揺れ、か細くなったジェネシスの声に気がつくと、アンジールの凍った表情は少しだけ和らいだ。
「いろいろありすぎて…、今すぐ全部は話せない。でも結果を言うと、条件を飲んだんだ。俺がミッドガルに行く代わりに、この村には何もしないって」
「どういうこと?何でそんな事になるんだ?」
「分からない…俺の知らない事がまだあるんだ。何かあるのは分かるけど…。なんでだろ、それを知るのが怖い…」
 いったい母は何から逃げ、何に怯え、何を守るために血にまみれながらジェネシスを取り出したのか。
 嵐に打たれ、血の中で泣き叫ぶ母の姿はアンジールの記憶から消える事はない。
 怖くて、悲しくて、切ない。
 だからこそ、救いたい。どうしても。

「怖いけど、でも知らなくちゃいけないって事が分かった。ジェネシス…、俺は間違ってたよ。誰かが傷つくからって、そのまま知らないままにしちゃいけなかったんだ」
 そう言って、アンジールは真っ直ぐに視線を向ける。
 悲しくて、辛くて、けれどもう揺るがない瞳だった。
「でも、今の俺じゃそれを受け止めきれない。だから母さんは黙っていたんだと思う。
 俺は、早く大人になろうと思うんだ。強くて、優しい大人になって、母さんからちゃんと打ち明けてもらえるようになりたい」
「…1人で?」
「…うん」
「寂しくても?」
「……うん」
 ジェネシスの問いかけにアンジールの声がしだいに細く小さくなる。本当の事を言えば、絶対的な自信はない。そこまですぐに強くはなりきれない。
 でもならなければならないのだ。その危機感だけが、背中を押す。
「泣いたって誰もいないぞ?誰も助けてなんかくれないんだぞ?」
「……っ」
 今にも泣きそうにアンジールの顔が歪む。だが、
「アンジールが…っ!」
「…ジェネシ…」
 涙を堪えるアンジールよりも先にボロボロと大粒の涙を零したのはジェネシスだった。
「お前が傍にいなかったら!!ピンチの時、助けに行けないじゃないか!!」

 ボロボロと、大粒の涙を零し大きな泣き声をあげて、ジェネシスがアンジールにしがみつく。
 生まれてから今まで、ずっと傍にいてくれた半身のような友。
 自分の我侭も無茶も、いつも笑って受け止めてくれていたかけがえのない親友。
 普段偉そうに威張っていられるのは、アンジールがそれを許して傍に居てくれたから。
 その親友が大きなものを抱えようとしている苦しみに、何の役にも立てない、何の力にもなっていない自分が悔しかった。
 残されることが寂しかった。
 追いていかれることが怖かった。
 離される不安は、覚悟の無かった分、ジェネシスの方が大きかったのだ。

「イヤだ!アンジールがいなくなるのはイヤだっ!!」
 アンジールに抱きつき、しがみつきながらわんわんと大声を上げて泣くジェネシスの背を、アンジールもまたボロボロと涙を流しながら抱きしめていた。
 子供達2人の泣き声は窓の外まで響き、壁ひとつ隔てた部屋でジェネシスの両親が声を殺して泣きながら聞いた。
 その悲しみと別れへの時間を、屋敷の大きなバノーラの木がいつまでも受け止めていた。



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