■ After The Battle サイドストーリー 
沈黙の繭 
07 嘆きの覚(1) 

  


「アンジール…、誰かアンジールを知らない?」
 陽の暮れたバノーラ村で、人々はジリアンの家の前に集まっていた。
「ジリアンさん、アンジールが帰っていないって?」
「ええ、まだ帰ってないの…」
「急いで探そう。ホランダー博士が監視している時にいなくなるのはマズイ」
「さっき森の奥からモンスターの泣き声がしたぞ。まさか…」
 その言葉に、ジリアンの顔から血の色が引く。
「みんなお願い!アンジールにもしもの事があったら!」

 だが、村人が手分けしようと踵を返したその時、村の奥の森の中で大きな影ががゆらりと揺れた。
 その影に、人々はざわつく。
 まるで狩りの終わった獣のように獲物を抱えてくるように近づいて来るそれは、村の人間誰もがもっとも警戒する男だった。
「…ホランダー…」
 その姿にジリアンが声を歪ませる。そしてその肩に担がれていた泥と血にまみれたものが何かに気がついたとき、ジリアンは悲鳴をあげて駆け寄った。
「アンジール! アンジール!!」
 ヒステリックに叫びながら飛び出したジリアンが、引き剥がすようにホランダーからアンジールを奪い取る。
 震えるジリアンの腕の中に崩れるように倒れこんだアンジールは、全身が泥と血にまみれ、苦しげに眉を寄せていた。
「アンジール!しっかりして、アンジール!」
 ジリアンは自らの袖を引き裂き、その布でアンジールの身体から血を拭い傷口を探した。全身に触れ骨折はないかを手際よく確かめていく。
 そしてその細い首に小さな注射針の跡があるのを見つけると、信じられぬものを見るようにジリアンの瞳孔が小さく窄んだ。
「…何を、したの…」
 震える指先でその跡に触れる。
「この子に何をしたの…」
 怒りに震えるその声は、目の前で見下したような笑みを浮かべる白衣の男に向けられた。
「何をしたの! ホランダー!!!」

 泣き叫ぶようなジリアンの絶叫に、村人達が次々に飛び出し2人を囲む。
 その村人の視線を一身に受けると、まるで舞台は整ったかのようにホランダーは大げさに両腕を広げた。
「ようやく揃ったな、我がGプロジェクトのメンバーよ!」
 そして天に翳した指先を、ジリアンに抱きしめられた小さな子供に向けて落とす。
「諸君らに改めて聞こう。この被験体はどのように育った?頭脳は?身体能力は?細胞数値は?先に言っておくが偽りは大罪だ。その命を懸けて答えろ」
 だが、村人の中にそれに答える者はいない。いかなる時も沈黙をもって返す。それは今までと同じだった。
 それに鼻を鳴らすと、ホランダーは改めてジリアン視線を向けた。
「どうなんだ、ジリアン?お前が今まで神羅に送ってきたデータは、全て本物か?」
「…本物よ…、この子は…アンジールは普通の子です…」
「フン。地に落ちたな、ジリアン」
 ホランダーは白衣のポケットからうす汚れた一枚の紙を取り出すと、それをジリアンの前に投げた。
「…これは…」
 それは、一枚の写真だった。
 赤ん坊の頃のアンジールを抱いたジリアンの写真。
 7年前にジリアンが夫のアイデンに渡し、それ以来、アイデンがずっと肌身離さずに持っていた写真だ。
 その写真に、黒く乾燥した血がこびりついている。
「母親?妻?普通の子供? そんなくだらん幻想は捨てろ。俺達は創造主だ。より優れた生命を作ることに、何の躊躇いがある。
 アンジールはモンスターを相手になかなかの戦いぶりを見せてくれた。実に良い素材だ」
 遠い街にいる父親が神羅によって掴まり危害を加えられ、息子もまた、罠に嵌められ試された。ジリアンはその事実を悟ると悔しそうに唇をかみ締めた。

 ホランダーはそんなジリアンの悔やむ姿を面白そうに見下し目を細めると、まるで自分の可愛い実験動物に語りかけるように、アンジールに猫撫で声をかける。
「もちろんそれだけじゃない。アンジールは今、俺に従順だ。何もかも正直に話してくれる。そうだな?アンジール」
 名を呼ばれ、アンジールの身体がピクリと動く。
「…は、ぃ…」
 ジリアンの腕の中で定まらない青い眼をさ迷わせたまま、アンジールは自分の意思の伴わない言葉をつむいだ。
 自白剤。ジリアンの頭の中にその言葉がすぐに浮かぶ。
「なんてことを…」
 絶望するように真っ青になるジリアンを嘲笑うように口角をあげると、ホランダーはアンジールに問いかけた。
「さぁ、教えてやれアンジール!8年前の7月4日。お前はどこにいた?誰に連れられ、いったい何を見た!」
 8年前。
 その言葉にジリアンの中で忌まわしい記憶が蘇る。
 大きな雷と叩きつける激しい雨音の幻聴が鮮明に聞こえた気がした。
「……研究 施設  で  …雨 が 降って…ぃました…」
「…アンジール…」
 ジリアンの顔が苦痛に歪む。
 それを見上げたアンジールの目もまた苦痛に歪んだ。が、薬に囚われた言葉は止まらない。
「俺は 赤ん坊で…母 さん と……もう1人……と…逃げ出し  た  」
 アンジールの言葉に揺さぶられるように、ジリアンの忘れる事が許されぬ傷口が、再びこじ開けられようとしていた。




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